2012年3月10日土曜日
2012年2月19日日曜日
2012年2月7日火曜日
2012年1月15日日曜日
小豆粥
中国においては、古くは冬至の際に小豆粥が食せられた。後にこの風習が発達して12月8日には米と小豆ほか複数の穀物や木の実を入れた「臘八粥」(ろうはちがゆ)というものが食せられ、六朝時代の中国南部では1月15日に豆粥が食せられた(『荊楚歳時記』)。これが日本に伝わって1月15日すなわち小正月の朝に小豆粥を食するようになったと考えられている。『延喜式』によれば、小正月には宮中において米・小豆・粟・胡麻・黍・稗・葟子(ムツオレグサ)の「七種粥」が食せられ、一般官人には米に小豆を入れたより簡素な「御粥」が振舞われている。これは七種粥が小豆粥に他の穀物を入れることで成立したものによるとする見方がある。また、紀貫之の『土佐日記』によれば、承平7年(935年)の1月15日(小正月)の朝に「あづきがゆ」を食したという記述が登場している。江戸時代には15日すなわち「望(もち)の日」の粥という語が転じて「餅(の日)」の粥と解せられ、小豆粥に餅を入れて食べる風習も行われるようになった。今日でも地方においては正月や田植、新築祝い、大師講などの際に小豆粥や小豆雑煮で祝う風習のある地方が存在する[1]。大師講が行われる11月23日(現在は12月23日)にはそれぞれの家で長短不揃いのカヤの箸とともに小豆粥が供えられる。大師様が小豆粥を食する際に用いたと考えられた箸は、地方によっては講の後に魔除けや子女の学問・技術の向上のまじないなどに用いられた。
同じく米と小豆を炊き込んだ赤飯との共通点が多く、いずれもハレの日に食されている他、赤飯に胡麻塩をふりかけるのは単なる味付けのみならず、古い時代に小豆粥に他の穀物を入れたのと同様であったと考えられている。
小豆をつかった粥として、中国には「紅豆粥(ホンドウジョウ) hóngdòuzhōu)」、朝鮮には「パッチュク」(팥죽)がある。中国の紅豆粥は文字通り小豆をベースにした粥であり、甘くないぜんざいや汁粉のようなもので米は使わない。朝鮮のパッチュクも冬至に食べる行事食であり、米の入った小豆粥だが、小豆を先に茹でて裏ごししてから米を加えて炊き、白玉などを浮かべることが多い。
2012年1月10日火曜日
小正月準備
小正月について
ウィキペディアより
小正月(こしょうがつ)とは、正月の望の日(満月の日、旧暦1月15日)(または元日から1月15日まで)のこと。現在は新暦1月15日に行われる場合もある。元日(または元日から1月7日まで)を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。なお、この小正月までが本来の松の内であり、近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。
この日の朝には小豆粥を食べる習慣があった。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。
年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。
かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、高度経済成長期以降の都市化などの影響で小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。
2012年1月3日火曜日
2011年12月18日日曜日
2011年12月4日日曜日
2011年10月8日土曜日
2011年9月18日日曜日
2011年6月14日火曜日
2011年6月11日土曜日
2011年5月27日金曜日
2011年5月9日月曜日
2011年5月7日土曜日
群馬県環境GS報告書
ここ数年温暖化防止のために
電気使用量Kwh
ガソリン・軽油・灯油ℓ
の使用量・削減を目標に
短期目標・長期目標
取組実績・評価
今年度の取組み内容
などを
群馬県に申請しながら
実施していますが
なかなか難しいものですね。
詳しくは、
http://www.page.sannet.ne.jp/kazuhisa/news.htm





















